7月13日
今年はじめて、セミの鳴き声を聞いた。セミを間近で見るのは勘弁だけど、遠くから音を聞くのは、良い。
小説の、うしろにある「解説」は、百害あって一利なしと思っている。(書きたくて書いているわけではない書評子の方もいるとは思うけれど)
「解説」なのに、どうしてこの人は小説を書きはじめるのだ? とぷんぷん怒ったり、「解説」で、作者に対して「私の大好きな詩をおくります」と言って、長々と詩の引用をしたものを見たときには、ほんとうにあきれかえったりする。
しかしそんなわたしが、思わず引きこまれた「解説」があった。
最初の一文なんか、地味だ。普通っぽい。内容も、小説に書いてあることを説明したにすぎない。けれど、目が吸いこまれ、先へ先へとゆるやかに流れてゆく書きだしなのだ。流され、どこにもひっかかりを感じない。ましてや、文脈の終わりと始まりが、完璧なタイミングなのだ。調和。そんな言葉が浮かぶ。
文が終わると、(編集者)と肩書きがあり、わたしは「えっ」と思った。このような文章を書けるなら、編集者ではもったいない、ぜったいに作家になるべきだと思った。しかしそれは杞憂で、名前をネットで調べると、作家としても活動されている方だとわかった。
松家仁之さんという方でした。
7月14日
仕事。休憩時間に、フリー校正者の方々と“校正道具”について談議。どの蛍光ペンが持ちがいいか、消しかすがまとまる消しゴムはどれか、黒地に指摘を書くときの白ペンが使いづらいことなど、話に花が咲いた。
7月15日
空の青
海にあこがれ
家にいる
7月16日
昨日の夜、急に思い立ち、使っていないECサイトの会員を退会するという行為を繰り返した。わたしはちいさなノートに登録しているECサイトのIDとパスワードをすべてメモしているのだが、一つずつ見かえし、不要なものは退会して抹消線を引いた。すっきりした。
あそこにあの店があったはず、と昔の記憶をたよりに向かうと、その店はつぶれており、しかもつぶれてもう長い、ということが、よくある。かつてその店があって、今より若い自分が周辺にただよっていた記憶はほとんど色あせてないのに。
7月17日
YouTubeの動画をみて、小松菜のごま和えが作りたくなった。ごまは自分ですったほうがきっとおいしいので、すり鉢を買おう。
7月18日
ひそかに取り組んでいた砂糖断ち。もう2ヶ月くらい経つだろうか?
お土産にミニケーキをもらい、迷いつつ(でもおいしそうなので)ぱくりと食べたら、う〜ん、甘い… おいしいというより甘い… 砂糖の味がする… という感想。味覚が変わったのかもしれない。
7月19日
午前中はベランダの掃除に精を出す。きれいになったベランダを部屋から眺め、ご満悦。
午後は買い物へ。カレー屋さんからただようカレーの匂いになぜか今日はすごく惹かれた。100円ショップでごますり器を買った(くるくる回すやつ。すり鉢よりかんたんだ)。
セルフレジのおつりで新紙幣が出てきて「おっ」と思う。なんかツイてるかも。
(つづく)