……あたしは、物語としての形をうまくとれない物語を、要約しているのだ。
川上弘美『某』2021 幻冬舎文庫(141–148)
物語としての形をとれない物語。それは、たとえば、破綻した物語なのかというと、ちょっとちがう。では、たとえばつまらない物語なのかというと、それもちょっとちがう。……
物語にうまくなっていない物語を要約し、肉づけするのは、けっこう大変だ。でも、それがうまくいくと、なんともいえない嬉しさがこみあげてくる。……「物語にならない物語」は、あたしにとっては、けっこうリアルだ、ということだ。みんな、なんだか筋が通っていなくて、つじつまもほとんどあっていなくて、あんまり面白くもないけれど、モニターの中で語っている人たちは、真剣だった。
物語っていうのは、そういうものなんだって、いつも亀山さんは言うよ。
そういうものって?
いい話なんて、ないんだって。
大学生のときにぐうぜん川上弘美の本に出会って以来、何冊も彼女の本を愛読しつづけている理由を、わたしははっきりとことばで説明できませんでした。
でも、ついさいきん読んだ彼女の新刊のなかに、ああ、そうなのよ、、と思える「答え」がありました。
それが、冒頭に引用したぶぶんです。
わたしが川上弘美の作品を好きなのは、どんなSFめいたストーリーであれ、あるいは生活の露骨なにおいのただよう日常描写であれ、そこに「物語にならない物語」がある、つまりげんじつがあるからなのです。
オチもないし、ひねりもないし、すっきりもしない。
——それがわたしたちの生きるげんじつで、ドラマのような「わくわくする話」も「こわい話」もない。
(「オチもない……」というフレーズは『某』に出てくる「山田」のセリフです)
そんなどうしようもないげんじつを生きるのは、けっしてたやすいことではありません。
すくなくともわたしにとっては、ほんとうに大変なことです。
しんどいなあ、と思い、ふと目の前にある真っ暗な落とし穴に落っこちそうになる、そんなときに川上弘美の本を読むと、ああ、わたし、ひとりじゃなかったって思うのです。
ここにも、もがいている人間がいるんだ、と。
生きるのってしんどいけど、それはそういうものだから、と川上弘美が言ってくれるから、わたしはじぶんの生を肯定できるのです。
そして、わたしはさいきんこんなことも考えています。
しんどくても、それを持ちこたえるわたし(あなた)は、とてもうつくしいということ。
もうすぐ、春ですね。