093 DON’T WORRY BE HAPPY(8/13〜8/16)


8月13日
実家へ。
ミシンの練習をする。

持参したそば茶を飲んだ母が「ベビースターラーメンの味がする」と言っていた。



8月14日
祖母と面会。
祖母は施設で昨日スイカ割りをしたそうだ。
半年くらい会ってなかった(わたしの体調が悪かったり、その他いろいろなタイミングで)ので、最初に話したときに胸が詰まる感じがした。
このように書くと、いかにもおばあちゃん思いな、優しい関係性を築けている家族のように思われるかもしれないが、わたしの家族はもともと長年不仲で、それぞれがそれぞれの立場でものすごく苦しんでいた時期があった。
それでも今はこんなふうに他愛のない会話をする、傷は癒えないかもしれないけれど笑って話ができる、という状況なのだ。
この状況を1ミリも期待していなかったし、とことん苦しんだので、かえって今の状況が奇跡的な、言いようのないものに感じられる。
ずっと平和で幸せな家族だったら、こんな気持ちは感じないだろうと思う。

祖母との会話のなかでわたしが最近6年ぶりに再開した社交ダンスについてふれたとき、
「〇〇君とやってるのか?」と祖母が笑顔で聞いてきたことにとても驚いた。
〇〇君というのは、わたしが社交ダンスをはじめたとき(10年前)に一緒に踊っていた元恋人のことで、ボケがはじまっている祖母が覚えているとは思ってもいなかった。
ダンス教室には彼が履いていた靴の箱がまだ置いてあって、別れを告げたのはわたしなのだけれど、見るたびに胸のあたりにどうしようもない気持ちがわく。
彼の箱の中には靴が入っているのだと思い込んでいたが、先日何かの拍子で箱を落としてしまったとき、中身が入っていないことに気づいた。
もともとダンスの先生の私物の靴?だったはずだから、先生が持っているのかもしれない。
けれど中身がないことを知ったとき、すべてが終わってしまったような、さびしい気持ちになった。

面会が終わってからは金蛇水神社へお参りに。

風鈴が涼やか。みんなの願い事が書いてあった
きれいな手水舎

お昼ごはんは「魚べい」という回転寿司を食べた。
わたしは魚についてまったく詳しくないので、いつも自分が食べるネタ(サーモンとか貝とか)以外は見てもなんのネタだかわからない。
途中いつもは食べない「鱈」を注文して、そのあとレーンに乗って手元にきた皿が、なんかメニューの写真と違かったけれど(写真にはないシソが挟まれていた。元校正者なので写真と実物の違いには敏感)、自分は魚に詳しくないからこれが鱈かも?と思って疑いつつも食べた。
しかしよくよく調べてみるとそれは「エンガワ」で、しばらくすると鱈がきた。
エンガワがきた理由はわからない。厨房のミスだとは思うけれど。



8月15日
せんだい農業園芸センター。

この銅像は大昔からある


夜は実家の玄関前で手持ち花火をした。(母が薬局の抽選で当てたもの)

火の玉のよう

夜、一人お風呂に入っていると、実家に帰るたびに毎回感じる、途方もない孤独感、
「恋人も子どももおらず一人で生きているわたしは、母がいなくなったあとどうなってしまうのだろう」
という気持ち。
この気持ちは、新たな家族がほしい、とか、自活できるのか怖い、とかそういう類の不安ではなく、ただ宇宙にぽっかりと投げ出されたような、ずっと母と二人きりで生きてきたわたしが、いずれは一人になるという現実がくることへの、唖然とするような気持ちのこと。
そんなことを考えながら、たまたま母から借りて着ていたTシャツをたたむために顔の前で広げたら、
「DON’T WORRY BE HAPPY」
と書いてあり、この陳腐なロゴがまっすぐ自分に響いてきて、とても励まされた。
心配してもいいけど、心配してもしょうがないよね、と思った。



8月16日
実家でお菓子や塩分の多いものを食べていたせいか、顔がパンパンにむくんでいる。


(つづく)