013 職場の登用試験に落ちた話


わたしは現在パートタイムで働いています。

働きはじめて4年目、雇用期間が定められている職場なので退職日までそう遠くはない状況です。

そんな中、職場で正規の職員の募集がありました。

募集を目にして、最初はふうん・・と関心なし。

だけど周囲からの後押し(○○さんならきっとだいじょうぶ!受けてみたら?などなど)と
正規の職員になってお金(給料)がもっとほしいという気持ちが合わさって、

自分でもびっくり、エントリーすることにしたのです。

選考がはじまると、履歴書や小論文の提出、適性検査やTOEICの受験、そしてWEB面接があり、それぞれ自分なりに誠実に取り組みました。

手ごたえはあったりなかったり。

意外にも、手ごたえがなく、イマイチでも、それがいまのわたしよね、と落ち着いていたことにおどろきました。

もっと若いわたしだったら悔しがったろうに・・(本来の自分はもっとできるはずと思っているから)


で、とにもかくにも選考の結果は不採用。

最初は心が痛みました。

落とされた理由をアレかなコレかなと考えてみたり。

でも、結果が出る前からわたしは自分に言い聞かせていたことがあったのです。

  • どんな結果でも今までの自分の実績は否定されない
  • どんな結果でもわたしの仕事に対する姿勢をちゃんと見てくれている大好きな上司(1名)がいることも変わりない

(落ちても受かってもその上司が大好きという謎マインド)

なんなら、わたしより「魅力的」と評価された採用者にお会いするのがちょっぴり楽しみなくらい(嫌味ではなく)。→ 実際にお会いしたら(こいつか・・)と心がざわつきました。


いまより若くて、じぶんがなくて、他人が評価するわたしイコールわたしだったときには、こんなふうにはぜったい考えられなかったと思います。

なぜわたしじゃだめなのか、ともがき苦しんで、ほかの誰かを憎んでいたはず。


そしてもうひとつ、不採用と知って感じたのはすごくホッとした気持ち(!)でした。

選考期間中、

  • 受かったらどうしよう

とわたしは恐れていたようです。


どゆこと?なんでエントリーしたの?とお思いでしょうが、わたしがお伝えしたいのは、

自分の本心って自分でもかんたんには触れられないようなところがありますよね!ということです。

(自分で自分をだましていることがよくある)



不採用通知を受けとった日の帰り道、木漏れ日がすごくきれいでした。

終わりのある身(=退職日が決まっている)はなんて身軽なのだろう。

これからのことはなにも決まっていないけれど、信じがたいほどにわたしは幸福感に包まれていました。



追記:

同僚のEさんに選考結果を尋ねられ、「落ちたんです!」と伝えたら、

「えー!?腹立つわ〜!出来レース!?てか上司ももっとプッシュしなきゃ!」と本気で怒ってくれました。

わたしはこの件についてすでにどうでもよくなっていたところだったので逆にびっくりするほどでしたが、怒ってくれるのってなんかありがたい。

わたしのことを知ろうとしない人がいたとしても、こんなふうに言ってくれる人がいるのは、それだけでじゅうぶんな気がします。



さらに追記:

わたしの大好きな上司は今回の人事について知らなかったそうです(プッシュするしない以前の問題だった)。

それを知って、頭にたらいが落ちたような衝撃が走ると同時に、ごちそうさまでした・・ということばが心に浮かびました。